自然を師とする絶対表現の美を追求する総合芸術家
勝田友康(かつた ともやす)さんを単なる陶芸家として見るのは適切でないかもしれない。
彼の作品が磁器、炻器、陶器と多岐にわたるだけでなく、その求めるテーマが陶芸美を超えた「絶対美の追求」にあるからだ。
以前彼は個展を訪ねてきた女流陶芸家から「作風を一本に絞った方がよい」と言われたことがあるそうだが、彼は作風自体にこだわっていない。
彼にとって陶芸は「芸術表現の一つ」にすぎない。
彼は「自分でもうまく説明できないですが・・・」と言葉を詰まらせながらも、「自我の入った自己表現でなく、自然を師とした絶対表現としての美を追求したい」と言う。
彼にとって「誰が作ったのではなく、作品そのものが放つ美しさ」に興味があるようだ。
陶芸は絶対美を表現する方法の一つ
若い頃は身体表現をはじめ、モダンアートに関心が強く、「今までにない新しいものをつくる」ことを追求してきた勝田さん。
彼にとって陶芸が第一であることに変わりはないが、陶芸も美を表すひとつの方法で、必ずしもそれだけにこだわっていない。
彼を陶芸家としてくくるのではなく、総合芸術家(オールラウンドアーティスト)と呼んだ方が適切かもしれない。
まだ50代前半と若く、これからどう芸術表現を極めてゆくのかとても楽しみな作家だ。
陶芸家 勝田友康5つのこだわり
- 自分を型にはめず、作風にもこだわらず、表現したいものをつくる
- 自分的なものを極力排除し、それ自体が美である作品づくりを目指す
- だから作品に自分のサインは入れない
- 自分自身を陶芸家と決めつけず、常に謙虚でありたい
- 美を追求する芸術のオールラウンドプレーヤーを目指す
陶芸家になるまでの道のり
柏葉窯がこの地に移った2010年当時のブログを読みましたが、勝田さんの遠祖は浅草寺の縁起と深く関わり、浅草寺唯一の檀家だそうですね。
室町時代に旧浅草材木町で材木商を創業して以来、500年近く続く材木商だったとか。
勝田さんはその家の22代目の跡取りとして生まれたわけですが、その方がなぜ陶芸家になられたのですか?
私は子供の時から当然家業を継ぐものと思っていました。ただ時代の流れで、個人で家を建てる人が少なくなり、そのための材木需要が年々少なくなっていました。
そんな中、私が18歳の時に突然父から「自分の代で材木商を廃業する。今後の人生は自分で考えなさい」と突然言われました。
その時は大変ショックでしたが、これから自分が何をしたいのか真剣に考える機会となりました。
そのころモダンアートに興味があった私は芸大進学を目指し、美術の予備校に通いながら美術の基礎や前衛的なモダンアートについて勉強しました。
18歳から22歳まで4度受験にチャレンジしましたが、入学には至りませんでした。
モダンアートを学ぶ中で、次第に西洋的な「自我を作品に込める考え方」に違和感を覚えるようになりました。
やきもの作りに目覚める
モダンアートからさめた時、頭に浮かんだのが「やきもの」でした。
やきものは幼少の頃からずっと好きだったのですが、そのときこれだ」とひらめくものがありました。受験をやめ、有田焼の窯元に入りました。
なぜ有田焼だったのですか?
磁器を修業の場として選んだのはある美術の先輩から、「磁器は陶器より扱いが難しいから、陶器の後ではできないよ」と言われたことによります。
瀬戸焼や京焼の窯元に修業を申し出ましたが、受け入れてくれたのが江戸時代から続く有田焼の窯元でした。
有田で3年間しっかり作陶の基礎を学びました。この頃から磁器と陶器を特に区別はしていませんでした。
その後、神奈川県内の複数の陶芸教室で講師をしながら作陶を続け、相模大野の教室を任されているときに知り合った同じ陶芸講師の妻と結婚しました。
29歳で東京都多摩市に陶房「柏葉窯(はくようがま)」を開きました。柏葉の名は勝田家の紋章から名付けました。日本陶芸展で初めて入選したのもそのころです。
さまざまな粘土、釉薬を使いこなす
陶芸教室も開いているので、一通りの粘土や釉薬は揃えてあります。窯も従来から使っていた電気窯、ガス窯、灯油窯に加え、2017年秋には「穴窯」を築きました。
2011年にここへ転居した理由が、この穴窯をつくるためでした。
いつ造るかは未定でしたが、不思議な事に燃料となる「赤松」の原木が大量に手に入り、解体した窯の古いレンガや、陶芸をやめた方から新品のレンガも多数頂く事ができました。
薪窯による焼成は、陶芸の道を志した当初よりの念願で、そのための知識の蓄えや準備をずっとして来ました。
陶芸を始めて30年目にしてようやく実現しました。この窯は「半地上式穴窯」で、私は先ずは地面を掘る作業から取り掛かりました。
2017年9月中旬に完成。すこし無謀だったかもしれませんが、2か月後の11月の個展にこの穴窯の初焚きの作品を出品しました。
納得が行く焼成が出来るまでには相当の熟練が必要な難しい窯ですが、陶芸家としての新たな第一歩を踏み出すことができました。
陶芸教室は「脱日常」、「遊びの世界」を楽しむ
妻と二人で生徒さん達に教えています。
私たちの陶芸教室は集まるみなさまの和を大切にしておりまして、陶芸はもちろんのこと文化全般を通じた「脱日常」、「遊びの世界」で楽しみを分ち合うことを目指しています。
粘土、釉薬ともに多種取り揃えており、灯油窯にて本格焼成(酸化・還元)、手びねり、電動ロクロのほか、あらゆる技法を指導しています。
本気の方からちょっと遊びの方まで、いろんな生徒さんが楽しんでいます。
教室部分には生徒さんの作品も常設展示してありまして50名ほど方が通っていらっしゃいます。毎年5月に「柏葉祭」の一環で、生徒さんの作品展もやっています。
イベントを通じて地域密着
柏葉祭の際は様々なイベントがありますね。 陶芸教室のスペースや庭を使い、ジャズなどのミニライブや舞踊、茶会、変わったところでは「燻煙(スモーク)の会」などのイベントも開き、実に盛沢山な内容ですね。
カフェまで出されている。そしてチャリティーセールの売り上げは震災などの義援金として全額寄付されていらっしゃいます。
二人の陶芸家が育つ
現在50~60名の生徒さんがおりますが、二人が陶芸家として独立しました。自分にも言い聞かせていることですが、「陶芸家は常に謙虚であるべきだ」と思います。
陶芸家 勝田友康(Tomoyasu Katsuta)プロフィール
1965年 東京生まれ。10代後半より美術表現全般にわたり探究を開始。モダンアートに傾倒
1989〜1991年 有田焼窯元にて作陶修業
1994年 陶房「柏葉窯(はくようがま)」設立
1997年 日本陶芸展入選
2002年 柏葉窯陶芸教室設立
2007年 日本陶芸展入選
個展
1995年〜音羽画廊(東京都文京区)
2000年、2001年 生活工房あかね(神奈川県新百合ケ丘)
1997年 紅茶とうつわの店(岡山県)
グループ展
1997年 男とうつわ心像展(有楽町阪急百貨店)
1999年 織道楽と器展(都内池袋東武百貨店)
2002〜2006年 男たちの手仕事展(銀座ギャラリー悠玄)
2003年 土と光の焼成(音羽画廊)。写真家金子泰久氏とのコラボレーション
場所・連絡先:柏葉窯(はくようがま)
〒195-0064 東京都町田市小野路町4040-1
電話:042-708-8619(代表 勝田友康)
mail:hakuyou@ra2.so-net.ne.jp
ライターコラム
私が柏葉窯を初めて訪問したのは、まだ勝田さんが穴窯をつくられる前の頃でした。
そのころ私は勝田さんはてっきり磁器作家だと思い込んでおり、陶芸教室に体験入学した際には底にブルーの溜まりのある白磁のボウルを作った覚えがあります。
残念ながら私の初めての磁器のうつわは失敗作で、そのとき私は磁器の成形は難しいと肌で感じました。
2018年11月、文京区音羽画廊で開かれた勝田さんの個展を初めて鑑賞し、その作品の多様性と個々の作品が放つ美しさに目を奪われました。
この時、勝田さんが薪窯焼成した信楽、
このインタビュー中もゆっくり言葉を選びながら語る勝田さんの姿勢はあくまで謙虚そのものでした。
しかし絶対美について語る際に見せる彼の視線は、まっすぐ未来を見つめている迫力がありました。