日本の陶芸の歴史は一万六千年前の縄文土器から! やきものの変遷を解説

2019.03.01

普段私たちが使っている陶磁器の器、一体いつくらいから日本で作られるようになったと思いますか?

実は、その起源は縄文土器。一万六千年ほど前に始まったとされているんです。

そして本物の縄文土器が今もなお現存しているのだから、焼き物ってすごいですよね。

縄文土器から現在のような器になるまでには、さまざまな技術の進歩や時代ごとの変化がありました。

そんな長い歴史を持つ日本の陶芸の歴史について、順に紐解いていきます。

 

縄文時代のやきもの

 

日本の焼き物の始まりである縄文土器が作られ、ここから歴史がスタートしました。

最古の縄文土器は青森県の大平山元Ⅰ遺跡で発掘され、年代調査を行なった結果、一万六千年前のものであるとされています。

実はこれ、世界的にも非常に古いものなんです。

当時は、粘土をひも状にして積み上げていくか、粘土の塊を押し広げるという方法で作られていました。

縄目模様がつけられていたり、火焔土器と呼ばれる炎を思わせる形であったり、独特の加飾が施されているのが縄文土器の特徴です。

 

弥生時代のやきもの

 

弥生時代には日本で稲作が始まり、焼き物も暮らしの中の道具として機能的な形に変わっていきます。

縄文土器に比べてシンプルな形状、装飾となり、均整がとれているのが弥生土器の特徴。

この頃には、土器を作るために回転する台が使われたと考えられていて、土器も薄くなりました。

ただし全く加飾されなかったというわけではなく、ベンガラを塗って赤くしたり櫛状のもので模様をつけるといったこともなされています。

 

古墳時代のやきもの

 

古墳時代にも、弥生時代の頃のような土器や日用の器は作られていましたが、特徴的なのが埴輪(はにわ)の生産です。

人物の形だけではなく、動物をモチーフにした埴輪も多く作られています。

また、古墳に入れる副葬品として装飾性の高い器が作られたこともこの時代の特徴です。

 

奈良時代のやきもの

この画像は東京国立博物館提供のデジタルコンテンツです。

奈良時代になると、釉薬をかけた施釉陶器が出てきます。

これは中国や朝鮮から伝わった緑釉陶器の影響を受けて、日本でも生産されたものと考えられます。

特に「奈良三彩(ならさんさい)」は、中国の「唐三彩」に倣って作られたとされ、緑色・褐色・白色の鮮やかさが魅力的。

奈良三彩の釉薬は、低めの温度で焼く鉛釉です。

 

平安時代のやきもの

この画像は東京国立博物館提供のデジタルコンテンツです。

平安時代の焼き物には、灰釉(かいゆう)といって自然の草木の灰を原料とした釉薬がかけられるようになりました。鉛釉と異なり、灰釉は高温で焼きます。

平安前期には今の愛知県のあたりで生産されていたとされ、焼き方も還元焼成から酸化焼成へと変わっていきます。

また平安末期には「山茶碗」と呼ばれる釉薬をかけない浅い碗や鉢など、日用品としての器が作られるようになっていきました。

 

鎌倉・室町時代のやきもの

 

中世の日本では、瀬戸窯(愛知県)で釉薬をかけられた焼き物が作られ、他の地域では焼き締めの甕や壺、すり鉢などが作られました。

六古窯と呼ばれる越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前での焼き物の生産が盛んになったのも、この時代。

施釉陶器を作っていたのは瀬戸のみで、他の窯では硬く焼き締められた陶器が主流でした。

ただし、奈良時代に盛んに使われていた緑釉は使われなくなっていきます。

 

安土・桃山時代のやきもの

 

安土・桃山時代になると、瀬戸黒や黄瀬戸、織部、志野といった釉薬をかけられた茶道具(茶碗、水指、花入など)が作られるようになります。

これは「茶の湯」が流行したためで、主に瀬戸・美濃地方で生産されました。

もともと焼き物の生産を行っていなかった京都にもその技術が伝わり、「楽焼(らくやき)」が作られるように。

さらに桃山末期には朝鮮半島から陶工が連れてこられ、磁器の生産がスタートします。

この時代、瀬戸を除く五古窯では変わらず甕や鉢などの生産が行われており、土地によって焼くものの種類が分かれた時期とも言えます。

 

江戸時代のやきもの

 

桃山時代に始まった磁器の生産は、江戸時代にさらに加速します。

その生産地は、これまであまり焼き物の生産を行っていなかった九州(伊万里、有田、唐津、波佐見、上野、薩摩など)が中心に。

特に有田は、磁器の原料である陶石(とうせき)の質が良くたくさん採れたことから、磁器生産の中心地となりました。

柿右衛門様式はこの時代に生まれ、鮮やかな色絵の磁器が多く作られます。

磁器生産、そして色絵技術は京都や瀬戸、九谷、砥部などの地域に伝わっていくのです。

 

明治時代のやきもの

 

明治維新により自由競争の時代となった日本では、明治政府の意向により陶磁器の海外輸出が盛んに行われます。

日本の陶磁器は欧米諸国に比べクオリティが高かったことから、人気が高かったようです。

また、ゴッドフリード・ワグネルというドイツ人化学者が有田に招かれ、石炭窯による効率的な窯の可能性やヨーロッパの釉薬・顔料の知識を伝えたことでさらに技術革新が進みます。

明治中期には、機械化により工場での大量生産が可能となります。

この頃、窯業教育も本格化していくのです。

 

焼き物の変遷まとめ

こうして日本の焼き物の歴史を辿ると、非常に長い歴史の中で様々な変遷を遂げてきたことがわかります。

明治以降も、大正時代に民藝運動が起こるなど焼き物への価値観は変わっていき、現代でもさまざまなアート作品や作家が生まれています。

縄文土器から始まった日本の陶磁器。

どこかで焼き物を見かけたら、ぜひ歴史のロマンを感じてみてください。

 

文:ユキガオ

合わせて読みたい

PAGE TOP