【お店を語る】「谷中 和楽や」店主 下田和明さん

陶芸家インタビュー
この記事は約7分で読めます。

「学び続ける限りやり直しはきく」― 生涯現役を目指す伝統工芸店店主

下田和明(しもだ かずあき)さんの半生は、波乱に満ちている。25歳で単身渡米。ニューヨークで鉄板シェフから日本の新聞社米国法人勤務を経て、グラフィックデザイナー事務所を立ち上げた。

しかしうまくいかずに閉鎖し寿司シェフへと、彼は異国の地で様々な仕事を経験した。アメリカ同時多発テロの1年半後に16年ぶりに帰国したが、まさに「浦島太郎の状態」だったという。

仕事はフリーランスのグラフィック&ウェブデザイナーからはじめ、次にデザイン会社に勤務、さらに日本でもグラフィックデザイン&ホームページ制作会社を立ち上げた。

その後ネットショップにも事業を拡大したが、納得できる成果を得られない日々が続いた。

そんな現状を打破するため、50歳を過ぎた彼は一念発起、アメリカ時代からの夢であった「日本文化を世界へ発信する」―目標にチャレンジすることを決意した。

そんな彼が選んだのが「和を広める」小売事業。でもそれも彼にとって未経験の分野だった。各種セミナーの受講に始まり、周到な準備に5年を費やした。

ついに2015年4月、「食を演出する和のうつわたち」をコンセプトとする「谷中 和楽や」を開業した。

「温かい下町情緒が残る谷中で、和を楽しむお店」―元デザイナーならではの小粋なネーミングだ。「和楽や」の「や」を漢字の「屋」でなく、ひらがなにしたのが洒落ている。

今までいろんな経験をしてきたが、学び続けている限りやり直しはきく。

成功したか失敗したかより、何をしたか、何ができたか、何をするのか、何ができるのかが重要だ。生涯現役が彼の信念だ。

買物のついでに立ち寄ってくれる地元の人、谷根千散歩(谷中・根津・千駄木)で東京のレトロを楽しむ人、さらに2020東京オリンピックを控え、外国人観光客の来店も増えている。

「谷中 和楽や」の今後がますます楽しみだ。

谷中 和楽や
食を演出する和の器たち

ショップ店主 下田和明 5つのこだわり

  1. おもてなしを通じて、作り手と使い手を結ぶ媒体となる
  2. 多様性を尊重しながら、日本文化を世界に広める
  3. 日本人としてのアイデンティティーを大事にする
  4. 「手作り」「日本製」「日本素材」にこだわる
  5. 生涯現役。学び続ける限り、いつでもやり直しがきく

アメリカンドリームを追いかける

1960年に茨城県土浦市で生まれた下田さんは、高校までは地元で育つ。

東京デザイナー学院でグラフィックデザインを学び、東京でデザイン会社に入社したが、商業デザインのメッカ・アメリカで働く夢を実現するため25歳でニューヨークへ旅立った。

おもにグラフィックデザイナーとし16年間ニューヨークで過ごすが、のちに伝統工芸品店を開業するきっかけとなったのが、まさにこのニューヨーク時代の経験にある。

デザイナーとして彼は美術館やギャラリーを巡る一方、異国で日本人であることを初めて強く意識した彼は、メトロポリタン美術館常設日本コーナーに通ったり、日本文化の書籍を読みあさることになる。

帰国後もチャレンジは続く

アメリカ同時多発テロの後、16年ぶりに帰国した時は41歳。まさに「浦島太郎状態」だったという。

就職が年齢的に難しかったため、まずフリーランスのグラフィック&ウェブデザイナーとして働き始めた。

デザイン会社に職を得て、その経験を活かし、再度日本でもグラフィックデザイン&ホームページ制作の会社を立ち上げ、ネットショップ事業にも手を拡げたが、本人が納得できる仕事にはならなかった。

「何か違う。長い人生、もっとやりがいのある、生涯現役を貫ける仕事はないか・・・・」悩み、模索し続ける日々が続いた。

在米経験が伝統工芸店開店のヒントに

下田さんが出した結論は、アメリカ時代から常に頭の隅にあった「日本の良さを知ってもらうために、自分は何ができるだろう」という強い思いだった。

ネット販売の経験こそあったが、実店舗でしかも伝統工芸品を販売することは未知の世界だった。

ネットで「起業」を検索し、探し当てたのが東京都中小企業振興公社が運営する「商店街起業促進支援」だった。

講座を受講する中で、事業アイデア、実現可能性、資金計画など開店に必要な準備を整えていった。

谷中から陶芸など日本の伝統工芸を発信

出店候補地は浅草や神楽坂も視野に入れたが、奥様の実家の菩提寺があり、また自宅からも近い谷中に決めた。店舗は10坪とさほど広くはないが、ガラス張りのしゃれた店舗だ。

グラフィックデザイナー経験を活かした「谷中 和楽や」と染め抜かれた藍色のロゴマークが、和風情緒を醸し出している。

谷中 和楽や Yanaka Warakuya | Taito-ku Tokyo
谷中 和楽や Yanaka Warakuya、台東区 - 「いいね!」410件 · 128人がチェックインしました - 食を演出する和の器たち 和食の技術や心は、料理の味付けや盛り方だけでなく、使われる器や道具、お部屋の装飾まで、食の空間を楽しむためのたくさんの工夫がされてきました。

集客のアイデアはすぐに実行

リピーターのお客様の要望で定番商品の陳列が多くなり、新しい作家の紹介スペースが限られているのが悩み。

これを解決するために新規取り扱い作家の特集を組んで優先的に紹介している。お店紹介のパンフレットも購入者、立ち寄り者用、さらに日本語版、英語版を揃えている。

また商品の紹介では「皿絵柄の由来」も日英版を用意している。ネット販売もおこなっているが、新たに「eメール会員」制度をつくり、広く顧客の意見をお聞きすることも開始した。

今までの経験はすべて活かす

下田さんはアメリカ時代から培ってきた日本の伝統文化への造詣を活かし、デザイン、使い勝手を基準に作家の技が込められた作品を厳選している。

棚の商品には作家のプロフィールや製作工程の写真なども添えられ、厳選したお薦め商品を買い手にわかりやすく伝えたい思いが伝わってくる。

価格帯も手頃なものからそろえてある。自分の目と手で確かめ、実際に食卓で使うイメージで商品を提案したいという。

「素敵なうつわを普段使いで楽しんでもらえれば・・・・」」彼の願いであり、喜びとするところである。

25歳で渡米、さまざまな経験を積んできた。「学び続ける限り、いつでもやり直しがきく。生涯現役です」という彼の言葉は、だれにとっても人生の応援歌になる。

16年間外国で暮らした彼だからこそ、来店する外国人の気持ちもわかる。

今度は外国人を迎える立場で、「コミュニケーションを大事にし、おもてなしの心で日本文化を伝え続けたい」という彼の思いが伝わってきた。

ブラウザーをアップデートしてください

今後の目標

ご来店のお客様が笑顔で帰り、買ったうつわを満足して使ってもらう。その繰り返しの先に、お客様との信頼関係ができあがると思います。

今後衰退する日本の伝統工芸を底上げし、世界に広めることに少しでも関われたら・・・というのが彼の夢だ。

そのためにも地方の伝統工芸家と連携を強め、支援したいと言う。例えば着物を着物のまま残すのではなく、新たな使い道を提案できないか模索している。

「手作り」「日本製」「日本素材」を3つのコンセプトに、日本の衣食住の良さを見直す。

「自分で商品を作っている訳ではないので、私のできることは作り手と使い手をつなぐことです」―そのキーワードが「おもてなし」だと思います。

下田和明(Kazuaki Shimoda)プロフィール

1960年 茨城県土浦市生まれ。高校まで土浦で育つ。
1981年 東京デザイナー学院を卒業し、㈱アドモンド入社(グラフィックデザイナー)
1986年 渡米し、レストラン紅花(鉄板焼きシェフ)、読売アメリカ社(新聞制作)
1995年 ニューヨークにてデザイン会社KSNYを設立
2002年 帰国後フリーランスを経て、デザイン会社山敷広告入社
2006年 ㈱Creative Core設立(代表取締役)
2015年 「谷中和楽や」開店
2016年 「谷中和楽や」に専念するため、㈱Creative Coreは解散

場所・連絡先:谷中 和楽や

〒110 -0001 東京都台東区谷中3-14-8 電話:03-5842-1917(代表 下田和明)

Fax:03-5842-1914 mail:yanaka@warakuya.info

谷中 和楽や
食を演出する和の器たち

ライターコラム

私が下田さんと初めて会ったのは、ニューヨークから来た友人夫妻の歓迎会の席だった。

私がニューヨーク勤務のときの同僚(日本人女性)が夫のアメリカ人男性を伴って帰国し、一席設けた際にお互いやきもの好きで盛り上がったのだ。

私は3年しかニューヨークにいなかったが、16年在住した彼だからこそ再発見できた日本がある。異国での生活も含め彼の半生は平坦な道のりではなかったはずだ。

その経験をすべて活かしていることが素晴らしい。

大器晩成という言葉がある。彼は常に自問自答し、学ぶ姿勢を崩さない。諦めずにやり続ける人に失敗の文字はないのだろう。

ライター 小暮貢朗