小石原焼
小石原焼(こいしわらやき)は福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれている、主に生活雑器の陶器を指す。
小石原焼の歴史
1682年に、福岡藩3代藩主黒田光之が伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まりである。高取焼の開祖、八山の孫、八郎も当地に移り住んで開窯した。
江戸時代中期、現在の大分県日田市の小鹿田村から招きを受けて陶工・柳瀬三右衛門が赴き、小石原焼の技法を伝えたため小鹿田焼とは言わば親子関係にある。
なお、現在も小鹿田では柳瀬三右衛門の子孫らが窯元として残っている。
柳宗悦によって提唱された民芸運動の中で小鹿田焼が脚光を浴びた後、そのルーツである小石原も注目されるようになり、1954年(昭和29年)柳やバーナード・リーチらが小石原を訪れ、「用の美の極致である」と絶賛したことで全国的に知られるようになった。
現在、窯元は56軒ある。
小石原焼の特徴
刷毛目、飛び鉋、櫛描き、指描き、流し掛け、打ち掛けなどによって表現される独特の幾何学的な文様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。
伝統の「飛び鉋」
ろくろの回転によってチョンチョンとリズミカルにカンナが生乾きのうつわを打ち、手斧をかけたような連続した削り目を作る。中国磁州窯の踊りベラと同じ。トチリともいう。
小石原焼の観光情報
上野焼
上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器を指す。
上野焼の由来
江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まり。
最初の窯は皿山窯(本窯)、釜の口窯、岩谷窯(唐人窯)の3つで、これらは上野古窯と呼ばれる。
江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、1902年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。
上野焼の特徴
上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。
また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。
伝統の「割山椒向付」
山椒の実が爆ぜて開いたように三方に深い切込みを入れて上方に反らせた形の小鉢。三辺を花弁のようにかたどるものもある。備前焼、唐津焼きにもある手法。