三川内焼と波佐見焼は、長崎のやきもの【全国の焼き物と窯場を紹介】

全国の窯場
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三川内焼

三川内焼()は、平戸焼(ひらどやき)ともいう、長崎県佐世保市で生産される陶磁器である。

昭和53年(1978年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品の認証を受けている。現在14の窯元がある。

針尾島の網代陶石と肥後天草陶石を用いた白磁に藍色で絵付けがされた物に代表され、デンマークの博物館長を務めたエミール・ハンノーバーは、著書『日本陶磁器考』の中で「1750年から1830年の間の日本磁器の中では白色に光り輝く最高の製品」と称賛している。

三川内焼の歴史

豊臣秀吉が起こした朝鮮の役の際、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工が来日した。平戸藩藩主である松浦鎮信も多くの陶工を連れ帰った。

慶長3年(1598年)、巨関(こせき)という陶工は、帰化して今村姓を名乗った後、平戸島中野村の中野窯で藩主の命により最初の窯入れをした。

この中野焼が三川内焼の始まりといわれている。同じく朝鮮から来た陶工の高麗媼は、中里茂左衛門のもとに嫁いだ後、元和8年(1622年)に三川内へ移住した。

また、巨関は1622年ごろ、中野村に陶土がなくなったために陶土を求め、息子の今村三之丞と共に藩内を転々とし、寛永14年(1637年)、最後に行き着いたのが三川内である。

その後、慶安3年(1650年)に中野村の陶工が、平戸藩により三川内に移された。

代表作品

唐子絵

唐の子どもたち(唐子〈からこ〉)が唐扇を持ち、松の木の下で牡丹に飛ぶ蝶と戯れている様子が描かれている。

当時は、描かれた唐子の人数によって用途が異なっており、7人唐子は将軍家や朝廷への献上品で「献上唐子」とよばれ、5人唐子は公家衆と大名家、3人唐子は一般大衆用とされた。

なお、三川内焼400周年の際にそれを記念して400人唐子の大皿が製作されており、三川内焼美術館で見ることができる。

透かし彫り

彫刻で、金属・木・石などの薄板を打ち抜いて模様をあらわす技法。また、その彫刻したもの。欄間の彫刻、刀剣の鍔(つば)などに見られる。

その他色々な焼き物などで使われる技法として有名である。香炉や多宝塔などの作品がある。

卵殻手(薄胎)

その名が示す通り、光を通すほど薄く、網代陶石のみを使用・手作りで成型・起こし焼きで焼成したものでなければならない。 「箸より軽い茶碗を」という藩命で、相神浦(相浦)出自の池田安次郎が完成させた。

輸出先のヨーロッパでも「エッグシェル」と呼ばれ人気を博す。第二次大戦後、製作が途絶えていたが、平成18年に平戸藤祥窯が復元。皇室に献上され、著名人にも贈られた。

伝統の「献上唐子」

朝廷、将軍家、大名への献上、贈答品専用に作られた松樹の下で遊ぶ唐子を描いた染付のうつわ。唐子の人数は7人、5人、3人があり、7人が最上とされた。

三川内焼の観光情報

三川内陶磁器工業協同組合

三川内陶磁器工業協同組合 ~ 現代によみがえる匠の技、みかわち焼 ~
400年の歴史を誇る長崎県佐世保特産みかわち焼は、平戸藩御用窯として、時の将軍家への献上品として、南蛮交易の輸出品として歴史を重ねてまりました。先人たちの技と心はみごとに今日のみかわち焼に伝承され国の伝統工芸品に指定されています。そのみかわち焼をご紹介いたします。

 


波佐見焼

波佐見焼()は、長崎県東彼杵郡波佐見町付近で産する陶磁器を指す。

慶長年間、藩主大村氏が朝鮮から連れ帰った陶工に始まる。丈夫な日用品が多い。江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。

今日でも食器生産が盛ん。1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4から1/3を占めたこともある。

波佐見焼の歴史

大村藩主の大村喜前が文禄・慶長の役から帰国するとき、朝鮮陶工の李祐慶が同行し、彼が慶長3年(1598年)に村内に登り窯を築いたのが始まりとされる。

当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。

当初は三股郷の陶石を原料とし、青磁が主力であった。その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行うようになった。

大衆向け陶磁器を志向し、大量生産に特化してきた。中尾上登窯(17世紀中葉-1929年)は全長約160mという巨大な窯であった。

一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しかった。三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様だった。

結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施されることになる。幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。

著名な商品

江戸時代に生産された、簡単な草花文などの絵付を施した磁器。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高嶺の花であったが、このくらわんか碗は「磁器は高い」という従来の常識を覆し、庶民に普及した。

名称は、淀川の京都・大坂間にある枚方宿で、商人が小舟で三十石船に近づいて「酒食らわんか餅食らわんか」と囃しながら食事などを売った「くらわんか舟」に由来する。

1790年に初めて作られ、1820年代から盛んに生産されるようになった、酒や醤油の輸出用の瓶。当初、木の樽だと風味が保てないため、オランダ商人らは、自分たちが持ってきたワインの空き瓶を利用していたが、出荷量の増加に対応するため、簡素な染付白磁を用いた徳利型の瓶を作らせた。

中身を示すためオランダ語で「JAPANSCHZOYA(日本の醤油)」または「JAPANSCHZAKY(日本の酒)」と書かれている。名称はポルトガル語で仲買人を意味する「コンプラドール(comprador)」に由来する。

給食用強化磁器食器

主に給食事業に使用される強化磁器。1987年に町内小中学校の給食用食器として開発された。当初、「割れにくい」を意味する方言「割れにくか」から「ワレニッカ」と称したが、改良を加えて「ハサミスクールウェア」に改称。2000年には「セーフティーわん」も開発された。

波佐見焼の観光情報

波佐見町観光協会

長崎県波佐見町観光協会 |