会津本郷焼(あいづほんごうやき)は、福島県会津美里町周辺を産地とする陶磁器を指す。
会津本郷焼の歴史
1593年、領主の蒲生氏郷が播磨国から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を製造させたのが始まり。17世紀中頃に藩主の保科正之が瀬戸から陶工の水野源左衛門を呼び寄せ、本格的に焼き物の基礎を築いた。
1800年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が磁器の製法を伝え、現在の会津本郷焼の原型が完成した。
戊辰戦争と大正5年の大火で壊滅的な被害を受けたが、粘り強く復興した。特に宗像窯は江戸後期以来、一貫して陶器を焼き続け、活況の原動力となっている。
1959年(昭和34年)のベルギー・ブリュッセルの万国博覧会に出展した素朴な飴釉のにしん鉢がグランプリを受賞して以来、会津本郷焼は広く世に知られるようになった。
現在は大堀相馬焼(福島県双葉郡浪江町)に次いで、窯元が17か所と東北2位の規模を誇る。
会津本郷焼の特徴
会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」がある。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「鰊鉢」で古くからニシンの山椒漬けに使われてきた。
磁器を製作している窯元も多いが、特に会津藩主保科正之が弓隊を配し開拓させた集落地である御弓新田(現在の新町)の唯一の磁器の窯元となった佐竹富太郎の次男富三郎が明治5年に分家して富三窯を開窯した。
4代目富三は日本原産の花椿をモチーフにし、染付の技術技法とともに会津焼の伝統を現代に生かすデザインを創案した。
伝統の「にしん鉢」
ニシン漬は東北地方の冬の保存食であり、タンパク源として大事なもの。ニシンを漬け込むための長方形の深鉢で、飴釉や糠白釉のものがある。
かつて民芸運動の柳宗悦たちによって、その素朴な実用美が絶賛された。
会津本郷焼の観光情報
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