福島県を代表する大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)、山形県を代表する平清水焼(ひらしみずやき)

2019.05.13

大堀相馬焼

大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は福島県浜通り北部の浪江町大堀で焼かれている陶器で、略して大堀焼(おおぼりやき)ともいわれる。

大堀相馬焼の歴史

江戸時代元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが始まり。浜通り北部を領していた中村藩は相馬野馬追の伝統を有しており、藩主相馬氏の家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれている。

中村城下(相馬市中村)の相馬駒焼が藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、この大堀相馬焼は大衆向けの民窯として親しまれた。中村藩は陶磁器を特産物として奨励したため、江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業も見受けられた。

大堀焼は戊辰戦争後に衰微したが、第二次世界大戦後に再興し、1978年には国の伝統的工芸品に指定された。

 

2011年3月の東日本大震災発生時には25軒の窯元があった。震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、福島第一原発から10kmに位置していた大堀の住民や事業者も避難・離散を余儀なくされた。協同組合と一部の作陶関係者は、福島県中通りの二本松市にある小沢工業団地内に移り、「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開いた。

釉薬の原料となる砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となり、窯元が廃業の危機に見舞われたが、砥山石と同じ発色をする釉薬を開発し、生産が再開された。福島県の南相馬市・郡山市・会津地方のほか県外(愛知県や大分県)で作陶を再開した窯元もある。

大堀相馬焼協同組合のホームページから

大堀相馬焼の特徴

青ひび

鈍色の器面に広がる不定型なひびのことで、鉄分を含んだ釉薬を用い、還元炎焼成後に冷却するために生じる。その後、ひびに墨を塗り込むために黒く見える。

走り駒

大堀相馬焼の特徴でもある意匠。走り駒とは名の如く、疾駆する馬のこと。

二重焼

大堀相馬焼の湯呑みは冷めにくいといわれるが、その原理に相当する技術。轆轤による成形の段階で、外側と内側を作っておき、焼成前に被せることで行われる。この技術を用いた焼き物は大堀相馬焼以外ではまず見られない。

 

伝統の「走り駒

相馬藩は相馬野馬追いの伝統を守り、繋ぎ駒を家紋とした。藩窯の相馬駒焼と民窯の大堀相馬焼では微妙に味わいが異なるが、いずれも躍動感あふれる走り駒の絵を鉄や金で描き、青磁釉のひびと絶妙にマッチしている。

 

大堀相馬焼の観光情報

大堀相馬焼協同組合のホームページを参照 http://www.somayaki.or.jp/

 


 

 平清水焼

平清水焼(ひらしみずやき)は山形県山形市平清水で焼かれる陶磁器を指す。

平清水焼の由来

江戸後期の文化年間に地主の丹羽治左衛門が茨城からの陶工、小野藤次平を招いて、地元千歳山の土を使って焼かせたのが始まり。伝承の上では円仁(慈覚大師)が千歳山の土を使って、焼き物を教えたとされている。

七右エ門窯のホームページから

平清水焼の特徴

現在6つの窯元があるが、一般に知られているのは青龍窯の「梨青瓷」「残雪」である。梨青瓷は地元の土に含有されている硫化鉄が還元炎焼成によって気化、釉薬の中に溶解すると、梨の肌のような青白色の斑点が生じ、独特の風合いを醸し出す。

ブリュッセル万国博覧会の出展で受賞し、一気に平清水の名は上がったといわれる。「残雪」は純白の白釉を掛けることによって、黒色の斑点が浮き上がることで名付けられた。他にも撫青瓷の平吉窯、「白衣」といわれる化粧掛けや「白砂」を得意とする天沢窯など6つの個性的な窯場がある。

 

伝統の「梨青甕

地元の土に含まれている硫化鉄が、還元炎による焼成中に気化して釉薬の中に溶け込むと、青緑色に発色したなかにあたかもなしの肌のような色合いの斑点が生じ、独特の風合いのうつわができる。

 

平清水焼の観光情報

七右エ門窯のホームページ http://www.sitiemon.com/

青龍窯のホームページ http://seiryugama.com/

 

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