飛びカンナで有名な小鹿田焼【全国の焼き物と窯場を紹介】

全国の窯場
この記事は約3分で読めます。

小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器である。

その陶芸技法が1995年(平成7年)に国の重要無形文化財に指定され、2008年3月には地区全体(約14ヘクタール)が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されている。

小鹿田焼の歴史

小鹿田焼は、江戸時代中期の1705年(宝永2年)若しくは、1737年(元文2年)に、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。

元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという。このため、小鹿田焼の技法は小石原焼の影響を強く受けている。

民芸運動を提唱した柳宗悦が1931年(昭和6年)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して評価する内容の一文を発表したこと、さらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小石原焼と共に小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。

2017年7月の平成29年7月九州北部豪雨により、44基ある唐臼の6割以上が稼働不能となり、原材料となる松も入手困難、陶土は前年の熊本地震による被害からの復旧工事が始まる直前にがけ崩れを起こして採掘不能、保存していた陶土の多くも流出するという壊滅的な被害となった。

小鹿田焼の特徴

朝鮮系登り窯を用い、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。飛び鉋は、宋時代の修式窯飛白文壺との類似が見られる。

また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられ、原料によってセイジ(緑)、アメ(飴)、クロ(黒)が主である。

陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。

その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている。

小鹿田焼の現在

現在10軒の窯元があり、小石原村から招かれた陶工の子孫である柳瀬家が2軒、陶工招聘の資金を出した黒木家の子孫が3軒、土地を提供した坂本家の子孫が4軒、黒木家の分家である小袋家が1軒である。集落の中心にある登り窯は近くの5軒が共同で使っている。

小鹿田焼の窯元は代々長子相続で技術を伝え、弟子を取らなかったため、小石原から伝わった伝統技法がよく保存されており、これが重要無形文化財に指定された大きな理由となった。

現在は10軒の窯元があるが、全てが開窯時から続く柳瀬家、黒木家、坂本家の子孫にあたる。

窯元は、共同で土採りを行ったり、作品に個人銘を入れることを慎むなど、小鹿田焼の品質やイメージを守る取り組みを行っており、窯元によって構成される小鹿田焼技術保存会は重要無形文化財の保持団体に認定されている。

また、窯元がある皿山地区と棚田が広がる池ノ鶴地区が重要文化的景観として選定されている。小鹿田焼は、2011年7月22日に大分県で8例目の地域団体商標に登録されている。

伝統の「唐臼」

水力を利用して臼で陶土を砕く仕組み。角材の一方に杵頭、他方に水桶を設け、鹿威(ししおどし)と同じ原理で陶土を衝く。水臼ともいう。近年の残したい日本の音風景100選に選ばれている。

小鹿田焼の里(おんたやき) | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト
温泉の源泉数・湧出量ともに日本一を誇る、...